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『権力と』 その2

・神父の逃亡は「義務」のためである。わたしが今まで普通に使ってきた義務という言葉とはちょっと違うものだ。

・神父は神父の義務と罪とをを負っている。警部には警部の義務と罪があり、それは神父のあずかり知らぬものなのであろう。だから、警部が殺した人質の責任は警部にあるのであり、神父はそれを負わないのだ。負おうと考えて自らの義務を放棄すべきではないのだろう。

・ましてや混血児の罪は神父には関係のないこと。

・警部と神父のやりとりは、ステレオタイプな社会主義者と宗教者のそれではない。少なくとも神父のいう事は。
ここを読むためだけにも、この小説を読む価値はある。今なお。

・2人の逃亡者はともに12人の銃弾を受ける。これは、まあ、なんというか・・・。
様式化されてるというか、ちょっと整いすぎというか。

・なんだかだ言って、カソリックの、あるいはキリスト教の「愛」を理解するのは私には難しい。ええ、自分が今現在その恩恵を受けて暮らしていることは知ってます。日本にいる時よりは少しはわかってきたとは思います。
ここがキリスト教の国でなかったなら、または、もし私に子どもがいなかったなら、こんなに多くの「愛」を受け取ることはなかったでしょうから。
mimula | 映画と本 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0) |

『権力と栄光』

生活にゆとりがあると、「ゴミはきちんと捨てよう」という気になる。

分別はきちんと。生ゴミの水気は切って、いらない紙で包んで、とか。
でも忙しかったり何かに夢中だったりするとまあいいや今日ぐらいっと分別もオロソカになりがちだ。

というわけですっかりゴミ捨て場と化したmimulaブログへようこそ!最近カテゴライズもできてないし散らかり放題。こんなとこほんとによく来てくださいました!

今日もやり場のない思いをぶつけるブログ。壁打ちテニス、バッティングセンター大好きですよ私は。

というわけなのだ。グレアム・グリーンの感想を書く。

 『おとなしいアメリカ人』は面白かった。筋立てがサスペンスフルだからというよりも、ディテールで引っ張られたと思う。ささいなエピソードの一つ一つがリアルというか、非常に説得力があり、つまり非常に面白いのでつい読み進めてしまうのだ。
 しかし、ひっかかりが一つ。以前の日記にも書いたが、主人公の立ち位置がいまいち納得できなかった。アメリカ人の無邪気にして無謀なアジア戦略をさんざん揶揄しているのだが、だったら旧大陸の植民地政策はどうなんだという声も上がりそうなものだ。悪を自覚していれば悪は免罪されるのか?

 今回『権力と栄光』だが、『おとなしい』の傍観者的主人公とはうって変わって、メキシコ警察に追われる神父の話である。だから立ち位置はこれ以上ないくらい鮮明。あらゆる受けるべき矢はすべて受けざるを得ない位置。こっちの方がある意味すがすがしい。
 やはりディテールで引っ張られる。神父が逮捕されるきっかけになったブランデーを買うシーンなんて胸にグッときます。台詞とト書きだけで神父の心象は何も書かれていない。そこがいいのである。読み手の想像力にまかせてくれるいいシーンが多いという点も、グリーンが映画化されやすい理由の一つだと思う。
 ところで早川文庫の帯には「警察はのんだくれ神父を追っていた。人々は命を懸けて神父を守った」とまるでサスペンス小説かのような惹句があるのだが、この神父はそんなにのんべのトウチャンではない。自分が飲みたいがために酒を買おうとしたわけではない。ブランデーではなくぶどう酒、と繰り返すのは、それがミサのためであることを明示している。
 人々は命を懸けて神父を守った・・・んだろうか?殺されざるを得なかった人質を除けば、すべての村で神父は厄介者として迷惑がられた。かつての仲間、ホセからすら追い払われている。
 そういう絶望の果てを越えて神父は逃げ続け、結局酒がきっかけで逮捕されるわけだけれど、このあたりやはり自分には理解の限界があった。無辜の民を犠牲にしてなぜ逃げ続けるのか?神の僕なら、なぜ村人の代わりに己が自首しないのか。自分が辱めを受けること、それは教会が、ひいてはヴァチカンが嘲笑されることであるから、命を賭けて教会の権威を守った・・・のだろうか?あるいは、単に恐怖から、もしくは不決断から逃げ続けた?
 グリーンは言う。罪のまわりにつねに栄光がある。汚れた世界のために死ねる人こそ神の子なのだと。
 結局、カソリシズムというものがわからない限り、この疑問は解けないのかもしれない。

 グリーンは新教徒として生まれ、カソリックに改宗したそうだ。長い歴史の中でカソリックが何をしてきたのか、どれほど多くの血を流してきたのかを決して知らない筈はない作者がなぜ改宗に至ったのか。そのあたりのことを知らないといけないのだろう。

 ところでひとつ、小説には関係のないことだが、先日のクロアチア行きで是非とも見たかったけれど果たせなかった場所のひとつにボゴミール派の墓地がある。モスタル郊外に残っているそうだ。
 ボゴミールの教義についてはグノーシスとかに関係あるらしいとしか知らない。けれど、この、カソリシズムと同等の歴史をもつ、あるいはそれより古い「異端」一派は長らくカソリック教会から迫害され続けた。それでも営々と続いてきたのだが、オスマン侵攻をきっかけについにそろってモスリムに改宗してしまう。そしてオスマン支配下で、今までさんざん自分たちをいじめてきたカソリック教徒を迫害する側にまわるのだ。これが、いまバルカンにいるモスリムの源流なのだという。
 それを見るためにもモスタルには行きたかったが。しかたがない。息子の泣き顔を3時間も見る勇気はなかった。
mimula | 映画と本 | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) |

『石の花』  ねたばれ編

多言を要すまい。旧ユーゴといえばの超有名本。

劈頭のカラーページが文庫になっても活かされたのは本当によかった。美しい世界、綾なす山河、心躍らせる生物たち。そして紡ぎ出される「人は龍に進化する」というこの上なく美しい「夢」。

人は龍に進化しうるか。
その問いを問うに足る者として、主人公クリロは「現実を現実として認めてしまわない」まま、パルチザンの一員として終戦を向える。フィーも同じく「今はしかたない」と諦めないまま収容所で生き続ける。

それを綺麗事と見るか、ありえないと斬って捨てるか。
旧ユーゴはなくなってしまった。
チトーが描いた国は消えた。
街は蜂の巣になった。

それだけを見るならば、きっとこの本は綺麗事なのだろう。
二重スパイだったクリロの兄が仲間によって射殺されたように。
人は龍に進化しない。そう言い切ることはたやすい。

もしかして、戦争写真を見て私が安らぎを感じるのは、その動かぬ証拠をつきつけられるからなのだろう。
人にはこれ以上の進化などありえない。なぜなら人には最悪なんてないから。悪い方向へならば、どこまでも行けるのだ。
だから、歩くのも読むのも馬鹿馬鹿しい。もう止めてしまえ。
座り込んで溜息をついていればいい。酔っていればいい。
そうすれば誰かが最悪まで連れていってくれる。
どうせ歩いた道もたいしたことなければ、読んだものも下らないものばかりだ。
どうせその問いすら、本気では信じていないのだから。


けれど、モスタルの橋は落ちてもまた懸けられ、旧ユーゴがなくなったのに、そこで殺し合いを演じた人々がまだそこで暮らしている。

それこそが最も恐ろしいことだ、
動かぬ証拠だ、
何事にも終わりをつけることはできない、人はどこまでも続けていかねばならない
誰がわたしたちをそんな焦熱地獄へ投げ込んだのか、
このゲームを始めたのは誰なのか、何故始めたのか
なぜわたしたちは無条件で参加させられるのか。

悲しいことに、この問いには終わりがない。

だから、この本が役割を終えることもまた、ないのだ。


『石の花』坂口尚 講談社文庫
mimula | 映画と本 | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) |

Zugvoegel .... einmal nach Inari  〜 ハンネス 列車の旅

表題のドイツ映画をWDRが放送してたので録画。またコマギレで見てます

実は日本で一度観た。くわしいストーリーは野田隆さんのHPが詳しいのでご覧ください。

フィンランドの極北、イナリで開催される「国際時刻表大会」に参加せんと旅に出る主人公。彼はとうぜん鉄道マニア、いや時刻表マニア。トーマスクックを熟読するのが趣味であり、ほぼ暗誦してもいる。ヨーロッパのどこからどこへであろうと、どの列車が何時に出発しどこでどう乗り継げばいいのかを即座に答えられる、という珍人物にして愛すべき好人物。

誰かが「カウリスマキに似てるテイスト」と言いそうです。まあやや似てるとは思いますが、それほどほのぼの狙いではない。と私は思う。むしろ、変人を主人公にした楽しいロードムーヴィーです。
鉄道マニアはドイツにも多いらしくて、書店の鉄道雑誌の棚の前ではいつも天然オイリーヘアの男性が数人、ぼさっと立ち読みしております。
映画の主人公はそこまでもっさりしてはいませんが、にしても、鉄道マニアを主人公に据えようなんてよくもまあ思いついたものです。


mimula | 映画と本 | 06:38 | comments(2) | trackbacks(0) |

Kunst aufraeumen.

最近本屋さんの棚で気になっているもの。

もうこれはアレコレ説明するより現物を見ていただくほうが早い。lesen.deのリンクを貼りますからご覧ください。

Kunst aufräumen およびNoch mehr Kunst aufräumen
Wehrli, Ursus

「クンスト・アウフロイメン」は直訳すると「芸術おかたづけ」または「芸術整理整頓」
「ノッホ・メア・クンスト・アウフロイメン」は「まだまだ芸術おかたづけ」

写真が小さくてわかりにくいかもしれませんが、キースヘリングとかかな?有名な作家の有名な絵が、要素分解されて色別に分けてならべられております。
まさに、芸術を解体して整理整頓してしまった。

整理の方法はほかにもいろいろある。画集を開きますと、印象派の絵でふつうの部屋のなかを描いたものが、引っ越し前みたいに片づけられて描き直されてあったりする。
もちろん、色やディテールは本物そっくりのまま。ただ部屋を片づけましたって事である。


こういうセンスは凄い。コロンブスの卵というか。
単純で、簡単そうに見えて、誰もが思いつけないこと。
大好きです、こういうのは。
mimula | 映画と本 | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) |

『わが半生』 愛新覚羅溥儀

まだ映画見終わらず。コマギレ鑑賞中。

ちょっと見て息子をねかしつけ、またちょっと見て家事やって、という具合なので、アレコレと考える時間があります。

この映画に出てくるエピソードのいくつかは、事実に基づいているもよう。(全部ではない。)
溥儀の自伝『わが半生』に書かれていることがいろいろ出てきます。

たとえば、皇帝即位の儀式でのこと。
わずか3歳の溥儀が玉座にチーンと座っていられるわけはなく、途中で立ち上がったり手足をバタバタさせたりしますが、この時、父親のナントカ親王が「しっ。静かにしなさい、すぐ終わるから」みたいな事を言う。そして、そばにいる宦官か大臣に「何てことを!」とたしなめられるシーンがあります。

これは本当に父親がそう言ったんだという。
そうですよね、父親ならば、息子の大事な儀式につきそっていて、無難に終わるかどうか気が気じゃないわけですから、静かにしなさい、おとなしくしてなさい、と言うでしょう。オヤゴコロです。
だけれども、清朝は溥儀の即位後ほんの数年で滅びてしまうわけですが、それは、この言葉が災いをもたらしたのだという風説があったそうなんですね。
大事な即位式で、「すぐ終わる」と口走ってしまったのがいけなかった、と。人々は噂しあったそうなんです。
『半生』にはそう書いてあった。

実際にそれが理由のわけはないし、もちろん溥儀もそう思ってはいないんだけれど、こういう噂があったというのは面白い。当時の北京っ子たちの世界をかいま見ることができますね。
そしてこのほかにも、『わが半生』にはいろいろ興味深いエピソードがてんこもりなんです。長いし、岩波文庫だし、なかなか手が出なかった私ですが、読んでみたらもっと早く読めばよかったと思いました。
中国とか歴史が好きな人なら、きっと楽しめる!と思う。

たとえば、有名人にかんするゴシップも多いんです。
羅振玉(だったかな?)と王国維についての話もありました。いま手もとに本がないのでうろ覚えですが・・・。
羅振玉というのは当時一流の学者なんだけれども、策略家でもあり、政治的野心もあって、まあハネたがりの人物といえる。
王国維のほうは、これは物静かで世間知らず、とにかく学究一筋の人物。これも一流の学者である。
羅のほうは、王が自分より目下で、反抗しないのをいいことに、好き放題やっていた。たとえば王の研究成果をよこどりして自分のものにしたりとか、まあ王はイジメにあっていたわけです。
ところが、研究者としては王のほうがはるかに実力がある。誰がみても文句のつけようのない成果を次々とあげてしまう。羅はこれが憎たらしいわけです。
「貸した金返せよ」とか、「あの本今すぐ返せよ」と王をイビリ続け、ついに自殺に追い込んでしまった。


王国維が自殺したのは本当ですが、理由は公式にはあまりハッキリしていない。
裏側のニンゲン関係を知っている人物による暴露バナシ、といえるでしょう。
人の、それも立派な人物の自殺に関する話を面白いと言っていいのかどうか。
でも、まあ、こういう近代史の裏話には事欠かない本です。

実は私、あまりに面白すぎるので、この本は溥儀本人がほんとうに書いたのかどうかアヤシイんではないかと勘ぐっておりました。
だって溥儀は皇帝陛下だったとはいっても、本物のモノカキさんではありません。現代文を書く修行をしたことは、そんなにないはずなんです。
中国語、現代文と古文とでは全然モノが違います。溥儀は前半生では古文の世界に生きていたはずであるから、こんなに流暢に面白い現代文が書けたのかどうか、はなはだ疑問である。書けたのだとすればすごい才能である。

と、いうようなことを中国人の知り合いにふと漏らしたことがありました。あれ、面白すぎるよねえ。
返ってきた答えは、「郭沫若が代筆したんだってよ」
わー、これまたすごいゴシップです。しかし本当なのかどうか、これまた噂であり風説ですな。


溥儀についての本で映画のネタになったものでは、ジョンストンの回想録『紫禁城の黄昏』も有名ですね。わたしはこれは未読です。
mimula | 映画と本 | 19:01 | comments(0) | trackbacks(0) |

ザ・ラスト・エンペラー ドイツ語版

大雪です。この冬一番かもしれない。

初めてドイツに来たのが一昨年のちょうど今ごろだったのだけど、その頃すでにドイツ暮らしの予定はチラホラ聞こえてきていたので下見みたいなもんだったのだが、こんな寒い国でオラはどうすんだべかと気が遠くなった。とにかく凍えてた。

ところが今はさほど寒さを感じない。まあいつも息子と家にいるし、外出してもせいぜい数時間だから、一日中出歩いている旅行とはわけが違うのだろう。しかし慣れもある。

で、あの旅行の時オラはドイツ語のドの字もなくて、入り口・出口もわからないし、ドアに押すとか引くとか書いてあってもえーとどっちだっけ、と考え込まないといけなかった。
出発前にこんにちはとかトイレはどこですかとかこれいくらですか位は暗記してたと思うが、しかし超初心者が「これいくらですか」と言えたところで役にはたたないんですよね。だって返事の数字聞き取れないもん。

そこを出発点とすると、今はたいそう進歩したものだと思う。うぉっほん。

何をいきなり威張りだしたかというと、今日は週に一度の会話教室の日。教室の帰り道はいつも、オレはやれるぜ、オレはできるんだぜ、あとちょこっとだけ勉強すればな、という気になっていますのです。妙に顔が赤くなって態度がでかい。犬にも吠えられます。

しかし生徒をこんな気分にして家に帰す先生というのはすごいと思う。素直に尊敬。
ドイツに来た5ヶ月前を出発点とすると、今の会話力はそう上達したとはいえない。でも、とにかく続けるためにはウソでもいいから自分はできるんだと思い続けなきゃいけない。

ということで録画しておいたテレビ版『ザ・ラスト・エンペラー』を見ております。合間合間にコマギレで。
当然吹き替えです。溥儀が「Ich will nach Hause」とか言っている。タイトルも『デア・レツテ・カイザー』。なんか笑える。

しかしこの映画、もともとオリジナル版が英語ですよ。だからおかしいのは元からおかしいんです。溥儀が「I want go home」とか言ってた。

中国と満州国が舞台なのに、なぜ英語なのか。
ちらっと聞いた話では、中国語で撮るとアカデミー賞で外国語映画賞しか狙えないから。最優秀監督賞とか最優秀作品賞とかを取るためには、英語の映画じゃなければいけないから、ということだそうですが。
本当だとしたら、ちょっとまあアレな話ですね。

話を戻しますが、オリジナルでは所々に中国語が出てきます。主要人物以外の会話とか、街の人々の声とか、要するにワカラナクテモイイ台詞は中国語。
溥儀が撫順駅で列車を降りているシーンで、監視兵卒の声「快、快、快点!」とか。
皇帝即位儀式での掛け声「跪、起、一叩頭!再叩頭!三叩頭!」とか。
ドイツ語版でも、ここは中国語のままでほっとかれてます。

なんか、この録画貴重なような気がしてきたので保存版にします。
mimula | 映画と本 | 07:25 | comments(3) | trackbacks(0) |

『ロスト・イン・トランスレーション』を見る

見るまでがちょっと大変でした。レンタル屋でDVDを借りたのですが。
初めてなので身分証としてパスポートを持ってきました。何か言われたので出して見せた。まだ何か言われたのでヴィザのページを出し、それでも言われたので住所欄を見せました。それでOKでした。

「ドイツ語勉強しないの?」これはわかりました。
「まだドイツ来てまもないんです」ウソです。もう5ヶ月近い。
「何してるの?仕事は?」
「あー、毎日家で赤ちゃんの世話してますので、時間ないんです」
「あ、そう。じゃあ映画楽しんでね。明日まで、3.5オイロだからね」

思うに、言葉が通じなくても、何とかなることは結構ある。それはナゼか。わからないけど、ある種の力を持ってる人と持ってない人がいる、とは思う。えらそうですかすいません。ある種の力、って、一人旅の力といってもいいかもしれない。

映画は普通におもしろかったです。
ある種の力が多少あってもなくても、外国にいて、自分がなぜここにいるのかわからなくなったことがある人には共感できる部分多いのでは。
多分、日本の描き方がうすっぺらいとか、ステレオタイプだとか言って批判する人がいるでしょう。でも、この映画の主題は日本じゃない。日本にいて感じる特有の感覚、または、外国にしばらく居て感じる孤独、みたいなのがテーマなのだから、極端にいえば舞台は日本じゃなくてもよかったはず。極端にいえば、日本人がアメリカを舞台にこの映画をとることもできる。描かれてる日本が日本人にとってどうか、というのは二次的三次的問題ではないかと思った。

えー、なんか言ってますけど、あんな綺麗な女優さんに勝手に感情移入してるところが何よりもエラソウですよね。
mimula | 映画と本 | 07:13 | comments(2) | trackbacks(1) |

寝不足解消

息子はいまのとこ風邪の徴候なし。足湯バンザイ。
そしてトーチャンが風邪をひきました。

怖い怖い本は読み終わりました。書名を言ってしまうとネタバレになるので伏せますが、最後に主人公が死んでしまって、それがあ〜んまりにも悲しかったので泣いた。本の登場人物のせいで泣くのは久しぶりだ。あ、でもそれは最近何も読んでないからか。

スティーヴン・キングが好きでかなり読みましたが、彼のは純然たるホラーとはいえないんじゃないかといつも思います。いつも主人公(たち)が冒険してバケモノと戦いながら自分の弱点や悲劇を克服してゆきます。そうなんです青春小説なんです。

しかし、いとけなき頑是なき吾子と暮らしていると、以前よりホラーの怖さ度が数倍アップです。人が死ぬとか殺されるとか、恐ろしすぎて血が凍る。なのになぜ読んじゃうんでしょうか。おかしいな。


トーチャンは明日もし風邪が治ってたら、フランスのナンシーという町に仕事にいきます。ナンシーは関市と姉妹都市ではありません。私と息子もくっついていく予定。更新がなかったら行ったと思ってくださいませ。
mimula | 映画と本 | 07:48 | comments(2) | trackbacks(0) |

どっちもカンヌ受賞だったっけ?

『ユリイカ』と『うなぎ』が時々ごっちゃになる。役所広司さんて、ややこしい映画によう出てはるよねえ。

そしてまたこんな

でも音楽が長嶌さんなので見たい。
mimula | 映画と本 | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
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