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9月1日

コドモ的には夏休み終わりですね
9月1日といえば、私にとってはコレである。


アメリカでは今日はレイバー・デイという休日らしい。その前の数日間を12歳の少年4人がどう過ごしたかというお話。

森の中に死体があることを聞きつけたガキどもは、キャンプに行くと親をいつわって短い旅に出る。死体探しに。けれどそれは、わずか数日、それでいて一生分の長さを持ち、子供期への訣別となる運命の旅であった。

たまたま私にも、この文庫本を持って旅に出たことがありました。
1991年、8月の終わり。中国東北部へ向けての2週間の汽車旅。

北京から哈尓浜、そして北安を経由して黒河へ。当時まだ黒河線は復旧しておらず、原野の湿地帯の中をつっきる一本道をおんぼろバスで10時間駆け抜けました。街灯や電柱すらなく、舗装もされてない道でした。ぼろバスはサスペンションが効いていなくて、車の中ではねとびながら座っていました。
途中、何も無い森の中で停車し、「車が壊れたラー」とか言いながら運転手がエンジン修理をはじめました。2時間たち3時間たっても直りません。ブルブルブル・・・プスンプスン。「アイヤー」とか笑うなよ。日が暮れます。原野です。なんか遠くに獣の声がします。死ぬかと思いました。

でも何とか黒河に着きました。アムール川の向こうにソ連が見えます。小さな町ですが遊園地の観覧車らしきものがありました。ソビエト連邦は当時激動の真っ只中にあったはずですが、辺境の町はひっそりと静まっていました。黒河の町の中には沢山のソ連人が行きかい、バーター貿易でさざめいていました。

そして8月31日、満洲里へ。哈尓浜から長い長い汽車に乗り、その中でお腹をこわしました。いや冗談じゃなく死ぬかと思いました。だって高熱と腹痛で動けないし、途中下車しようにも町らしい町なんてないし、医者がいたとしてもこんな田舎では注射器使いまわしてそうです。ビバ肝炎。それはいやです。

9月1日の朝、ぼろぼろになって満洲里の駅に降りました。やっとでホテルを探し、値段交渉もせずにころがりこみます。
満洲里イチの大ホテル。でもトイレは部屋の外、廊下の奥。

ふらふらになってトイレと部屋を何往復もしました。その頃には下からのみならず上からも。あれだ、いわゆるサルトルが。つまり嘔吐です。2日以上続きました。
洗面所の鏡に映った顔を見て、自分が生きて動いているのが不思議でした。

いやあさんざんな旅でした。わたしの人生は映画や小説とは大違いである、というのを本当の意味で悟ったのはこの時かもしれません。

・・・・・・珍しく早く目が醒めて、なんだかおセンチですね。夏の終わりは切ないです。

mimula | 旅のつれづれ | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) |

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